やはり、カットバックはいけないのだと理解。
今、殊能將之『美濃牛』を読んでいるのですが、プロローグから本編がカットバックする形式がとられていました。本編で伏線として張っている文章が、すでにプロローグで明かされているため、伏線になっていません。また、各項ごとに象徴する文章を引用しているのですが、それも種明かしをしていると同じなので、展開が読めてしまいます。
確かに、ストーリーは巧く展開しているのですが、それがあるために100%楽しめなくなっています。
これを文学賞へ応募された作品に使われたら、審査員は当然減点します。これではカットバックする作品が通らないわけです。
辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』はあえて時期を明かさずにカットバックしているために、それ自身が一つの叙述トリックになっています。また、カットバックは過去へ跳んでおり、しかも本編と直接関わりがないためにカットバックの問題を回避しています。
そのような使い方でなければ、カットバックは成功しません。
確かに、カットバックは簡単でそれっぽく見えますが、実際に使いこなすには相当な技術が必要でしょう。
今日はちょっと賢くなったり。