活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

面白いを忘れた大人達へ

役に立つ、立たないで物事を論じていてはつまらない。
そのせいで、今のこども達もすべて役に立つ、立たないで論理が構成されています。その一つの表れが「勉強は何の意味があるの?」という問いです。そもそも、この問いになんら答えられない大人も問題ですが、そんな質問を許す社会自体も問題です。


確かに、物事は役に立つか立たないかは重要です。しかし、何かをするときに役に立つか立たないかはあまり考えません。むしろ、面白いか面白くないかが重要です。こどもが将来役に立つからスポーツをするのですか? いいえ、面白いからするのです。
それを忘れている、意味を見いだしていない大人が役に立つ立たないで考えるから、こどもも真似をするのです。面白い面白くないで物事を考えた方がわくわくしませんか。これは面白いかも知れない。ちょっとやってみようかな。それが興味です。大人だって面白くないことはしたくないでしょう。


どうして大人はそんなことも分からないのでしょう。私は年間100冊程度の本を読みます。でも、それは役に立つから読んでいるのではなく、面白いから読んでいるのです。小説、新書、ビジネス書、技術書など、あらゆるジャンルの本を読みます。中には役に立つ本もあるでしょう。しかし、本質は面白いから読むのです。
それを忘れたら、物事の面白味なんて何一つありません。実用だけで人類が発展してきたのでしょうか。発明は常に面白かも知れない、から始まります。学問は面白いを突き詰めた結果です。


役に立つ、では立たなかったら意味ないじゃん。になりますが、面白い、だったら、「お前達バカだな。この面白さを知らないのか」って言えますよね。他人が役に立つと押しつけることは強制ですが、他人が面白よと薦めるのは強制ではありません。


誰だって面白いことをしたいでしょう。ワクワクしたいでしょう。ドキドキしたいでしょう。なら、面白いから始めましょう。