活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

力とは義務である

以前にも書きましたが、力には責任を伴うと考えています。
かのドラッカー氏も『プロフェッショナルの条件』で同様の発言をしています。
彼は力に責任がなければ、組織は減退するとしています。
私はもう少し推し進めて、責任なき力は暴力だと考えています。


古今東西、責任を果たさないリーダーの国家は崩壊しています。
それが顕著な例として、ナチスドイツがあり、大日本帝国があります。
権力者が権力ばかり追い求め、その責任を果たしていない結果、国家は破綻しています。


個人もまた同じではないでしょうか。
力を手に入れれば、それに見合う責任が発生します。
無制限の力とは存在しません。
だからこそ、欧米では「ノブレス・オブリージュ」、持てるものの義務が存在します。
それがあるからこそ、欧米は権力や金を所有することが暗黙として認められます。


しかし、日本にはそんな概念が存在しません。
あるのは社会的責任ではなく個人的道義です。
だから、個人主義がまかり通る現代では、個人的道義など存在しません。


もっと力に対し、その責務を考える必要があるでしょう。