活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

薄っぺらい世界に生きる、軽薄な人々

けっきょく、「できちゃった婚」って駄目な大人の証拠だよなぁ。


なんて、『夕子ちゃんの近道』を読みながら思ってみたり。

夕子ちゃんの近道 (講談社文庫)

夕子ちゃんの近道 (講談社文庫)

別に「夕子ちゃん」ができちゃった婚だからいけないとか、そんなヲタな発言をしているわけではなく。


長嶋有『夕子ちゃんの近道』は、第1回大江健三郎賞を受賞した作品で、そもそも同賞は海外に翻訳するための本を選出する、という目的で作られたもの、だったはずです。
まあ、そこから考えると、本作はありといえばありなのかもしれません。


主人公は非常に「ゆるい」僕。
最後まで名前はおろか、詳細な容姿も描写されません。バックボーンもほとんどなく、かろうじてわかるのは仕事に疲れて働きたくなくなってしまったこと。
その辺は『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの主人公のようです。


ここで重要なことは、登場人物のほとんどが「ゆるく」、バックボーンに乏しいということです。
今までの小説であれば、登場人物にはなんらかの主義主張があり、それを支えるバックボーンが存在しました。純文学の主人公がまさにそうといえるでしょう。
しかし、本作は真逆です。
ゆるいストーリーが続き、何が起こるわけでもない、一種、不条理演劇のような様相さえあります。
バックボーンの喪失は、ポストモダン化した現代を表しているようでもあります。


つまり、何もない作品。
いい意味でも悪い意味でも、です。
我々の生きる現代が空洞化してしまった(あるいはデータベース化)ために、持つべきテーゼがない物語が、本作ではないでしょうか。
それゆえに、作品として盛り上がりも緊張感もないものになってしまっていますが。


なんとも評価の困る作品といえます。
で、思った感想が先述のセリフというわけです。