活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

風向きが変わっていることを、君らは知っているだろうか

消える大学 生き残る大学 (朝日新書)

消える大学 生き残る大学 (朝日新書)

結局言えることは、ここ数十年間、大学のあり方はほとんど変わってこなかった、ということです。
それは大学自身もそうだし、文部科学省もそう、世間のイメージもそう。


確かに、大学側の改革がなかったわけではありません。
ただ、本気でやってきたかといえば、ノーとしか言えないでしょう。
なぜなら、経営学の教授陣をそろえながら、ずさんな経営をしている大学の多いこと。
それに輪をかけて文部科学省(政府)の方針のひどいことといった筆舌尽くしがたい。


それでも、風向きが変わったのは国立法人化からでしょうか。
そこから国公立大学はもちろん、私立大学も変化をしてきたように思えます。
まだ十分ではない大学も多くありますが。某大学なんて、説明会を聞いたら、まあ、なんてお役所なんでしょう、と思うほどですし。
しかし、一方で生徒を是が非にでも入れたいと思わせる大学もあります。


それって、教員・職員がどれだけ真剣に取り組んでいるか、だと思います。
それをしやすいのは小規模の大学です。大規模の大学はなかなか改革ができないというのが現状でしょう。
そんな中で頑張っているのは早稲田ではないでしょうか。あれだけ放漫経営をして、一時は企業だったら倒産するような経営状態から、ずいぶんと立ち直りました。
まあ、附属・系列校を増やして、生徒の確保をしていたから、というのもありますが。


この本によると国立大は悲惨な状況にあるようです。
科研費や運営費交付金はほとんど旧帝大に持っていかれて、地方にはほとんどいっていないのが現状だそうです。
特にまずいのが教育大学。
文系単科大で、地方だと散々な状況のようです。


私立は政府の政策で、むやみやたらに大学が新設した結果、約40%が定員割れを起こす有様です。
今後の課題は募集停止した大学がどう立て直すのか、そのあり方が、同じような状況にある大学の道しるべとなるはずです。


国公立にしろ、私立にしろ、ブランド(大学名)以外で成功しているところがあります。
例えば、秋田の国際教養大学、山梨の都留文科大学、石川の金沢美術工芸大学、沖縄の沖縄大学、愛知の豊田工業大学、福井の福井大学など。
これらの大学は社会や地域が求めている人材を育成したり、細かく学生を見ていることが挙げられます。
国際教養大学豊田工業大学などははっきり言えば、研究機関ではありません。完全に人材育成機関です。
でも、それもアリだと思います。社会がそういう存在を求めているのですから。


このような大学のように、これからの大学は旗幟鮮明にしないと生き残れません。
そりゃ、早稲田慶応はブランド力で生き残れるのかも知れませんが、法政はブランド力が落ちていますし、中央の文系は立地ゆえ(八王子)に敬遠されています。
そういうことを考えると、今のブランドだけで生きていけるとは限りません。


本書でも述べているとおり、地方国立は地域の経済的文化的中心にならなければならないでしょう。


もちろん、大学自身が生き残ろうと頑張っているのは分かります。
ただ、他と同じことをするのではなく、その大学の建学の精神に立ち返って自分たちに何ができるのかを再認識する必要があります。
その大学が社会に果たせる役割とは何か。それを考えて改革しなければなりません。


同時に、社会も変わる必要があります。
望のぞまないを問わず、大学が良質な労働力を提供している場であることは間違いありません。
問題なのは、社会がどういう人材を求めているのかを明示していないことです。
そのために、何となく高学歴(国公立・早慶上智)を1次選考で残す、なんてアホな選考をするわけです。
最近は早慶の内実がばれて、推薦組を敬遠して国立志向になっているようですが。


でも、そんなアホな人事選考をしている限り、大学がどんなに変化しても、何も変わりません。
昔から七五三と言われているとおり、三年以内の離職率がおおよそ中卒70%、高卒50%、大卒30%です。これは昔から大きく変わっていません。
大卒だけ見ても、一定数企業とは合わない人間が存在するということです。
それは学生も企業も学校歴しか見ていないから起こる現象です。
偏差値の高い大学なら大丈夫だろうという、根拠のない選び方がそれを招いているのです。


そこから変えなければ大学だけ変わっても意味がありません。
社会そのものも変革しなければ、この状況が変わることはないでしょう。


もっと伸びる大学はあるはずです。
社会に求められる人材を育成できる大学もあるはずです。
しかし、社会の側が変わらなければ大学もリスクを背負えません。
社会と大学の両方が変わってはじめて、よりよくなるのではないでしょうか。